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自分軸のつくり方

愛する人を失った心の傷を癒す3つのステップ

目次

愛する人を失ったときに大切なこと

愛する人を失ったとき、私たちは大きなショックを受けます。
私自身も10歳の頃に父を亡くしたとき、大きなショックを受けました。
祖母、母、兄、弟、それぞれショックを受けたものの、そのあとで目の前に立ちはだかる問題はかなり違いました。

特に男性と女性とでは考え方も、感じ方も、気持ちの伝え方も違います。
だから愛を失ったときの受けとめ方も違いました。

父親、母親、妻、夫、恋人、子供、それぞれ別れたあとに味わう苦しみの大きさは男性と女性で変わりはありません。

孤独と混乱のなかで心がうめき声をあげ、胸に痛みが突き刺さる。
どうしようもなく茫然とし、過去を変えられない自分の無力さと闘いながら、後悔と絶望の深みにはまっていく。

まるでまっ暗な海に、ただひとりとり残されているような感じに陥ったりしました。
この暗闇が永遠に続くとも思える一瞬一瞬を、ただやり過ごすだけの毎日を私も過ごしていました。

目の前のことに気を紛らわせ、つらさを忘れるときもありましたが、何かのきっかけで苦しさを思い出すと、涙に明け暮れることもありました。
むきだしの傷の痛みに向きあうことがとても辛かったです。
 
愛する人を失ったときに大切なことは心が癒されることです。

完全に心が癒されれば、苦しみも完全に消えます。
頭でも心でも、起きたことは変えようがないと素直に納得できるようになるのです。

そしてひとりに戻って新しい人生のスタートを切り、心を開いて、また愛し愛される包みこむような愛の日ざしを手に入れることができるようになるのです。

心の傷を癒すための3つのステップ

グリーフケア東京

愛する人を失った心の傷はとても大きいものです。
しかし、心の傷を癒す方法を私たちは学校で学んでいるわけではありません。また何度も経験して身につけることもできません。

このため、ほとんどの人は、心の癒しの正しい方法を知らずに、暗闇に迷ってしまいがちです。
友人や家族のアドバイスに従ったり、自分の心の赴くままに従ったり、よかれと思って選んだ方法でも逆効果になることが多いのが現状です。

ほとんどの場合、一時的に気持ちが静まったとしても、いつまでたっても心を完全に癒すことはできません。

もちろん愛する人を失っても、立ち直って元気をとり戻す人はいます。
しかし多くの人は、愛を失った苦しみが頭から離れず、完全に心を開こうとしなくなります。

自分では、うまく乗り越えて前進していると思っても、心のドアは閉じたままで、苦しみを忘れようとして、行動をしているだけの場合がほとんどです。

感情が麻痺し、ますます心を閉ざした状態がつづくので、本当の愛される幸せを手に入れることができず、心からの愛を感じないまま人生を送ってしまうことになりがちです。

愛する人を失ったときの心の傷を癒すかどうかは、その先の人生を決定してしまうのです。
時間がたつのを待つだけでは、心の傷を完全に癒すことはできません。
正しい癒しの3つのステップを行う必要があります。

1. 否認
2. 悲嘆のプロセス(絶望と無気力)
3. 受容・回復のプロセス

1. 否認のプロセス

「そんなはずはない」「何かの間違いではないのか」と、その事実を受け入れないことです。

私の父はがんでした。でも、10歳の私はがんのことをよく理解していませんでした。

よく無邪気に家で療養していた父に「何で今日は家にいるの?」と聞いていました。

父が亡くなったとき、私は病室の外の廊下で呆然としていました。
祖母、母、兄弟、親戚が大勢集まり、みな悲しみにくれていました。

私だけが全く実感がなく、ただただ繰り返していました。
「これは何かの間違いだ!パパがいなくなるなんて、ウソに決まっている。」

大切な人が亡くなったとき、すぐにすんなりと受け入れることができる人は稀です。

「〇〇さんが亡くなりました。」と初めて聞いたときは、あまりのショックな報告に普通の精神状態ではいることはできないでしょう。

その場ですぐに冷静になって気持ちの整理ができる人は、ほとんどいません。
この事実を受け入れない状態を否認と言います。

2. 悲嘆のプロセス(絶望・無気力)

否認を続けても、残念ながら現実が変わるわけではありません。
お通夜や告別式などの葬儀や、遺品の整理などで、現実に直面していきます。

現実的に否認することが、できなくなったとき、私は絶望・無気力を味わいました。

「パパは本当にいなくなってしまったんだ・・・」

「私はなんて孤独なんだろう・・・」

「心のよりどころがなくなるなんて、どうやって生きていけば・・・」

「もう何も考えられない・・・」

パパが生きていた楽しい日々、一緒に行った旅行の体験、キャッチボールをしたときなど、次々と愛あふれる日々を思い出し、悲しみと寂しさに明け暮れていました。

この絶望・無気力を感じながら、十分に悲嘆にくれるプロセスが実はとても大事な2つ目のステップです。

3. 受容と回復のプロセス

絶望・無気力を感じる悲嘆のプロセスは、非常に苦しく、終わりがないように感じます。

絶望の中にあっても、自分のつらい気持ちと真摯に向き合い、また他者と自分のつらい気持ちを共有していくことで、私たちは少しずつ気持ちに整理をつけていくことができます。

大切な人を失うことは、本当に大きな悲しみです。

これを悲しまなかったり、悲しくないふりをすると、心に大きな負担がかかります。

私は「人前で泣くことは恥ずかしい」「弱音は吐いてはいけない」という考えを持っていました。

とても悲しいのに「泣いたらダメだ」と悲しみを表に出すことをこらえたり、「悲しんだって、父が戻ってくるわけじゃない。強く生きないと」と、悲しまずに強気でふるまっていました。

悲しいという感情があるのに、向き合うことを避け続けたので、いつまで経っても悲しい気持ちの整理はつきませんでした。

整理がつかないため、自然と消えていくこともなく、いつまでも心の中でくすぶり続けました。

私が悲しい気持ちを乗り越えられたのは、悲しさがあることを認めて、受け止め、大泣きしたときでした。

悲しむことは弱いことでも情けないことでもないのです。
大人だって、本当に悲しいことがあれば、大泣きすることがあります。

私が悲しさを受け止めて、子供のときのように大泣きすることで、乗り越えることができ、とても気分がすっきりしました。

大切な人を失ったという事実が消えるわけではありません。
悲しみがゼロになるわけでもありません。

悲しみを抱えながらも、それを受け入れることで、自分の本当の人生を送れるような精神状態に回復していきます。

そしてどんな夜のあとにも必ず朝が来るように、十分に悲しんだあとには、ぽっかりと穴があいた心のなかにも愛がおしよせてくるのです。

心の傷が癒されていない女性の危険サイン「自立と孤独」!?

私たちは、苦しむことが嫌うので、悲嘆のプロセスが終わるのを待たずに先に進みたがります。

苦しみから逃げようとするのは当然だし、対処法としてはあるかもしれません。
だから私たちは、こんなふうに頭で考えがちです。

「もう苦しむのはやめようよ。そんなものを引きずっていて、何になるんだ? 前に進もうよ」

しかし、愛する人を失ったとき、苦しみから逃げるのが早すぎると、癒しのプロセスが順調にいかなくなります。

目先のやすらぎだけを追い求めると、かえって傷は治りにくくなります。

怒り、悲しみ、寂しさ、恐れの感情の波がやってくるたびに抵抗していると、一時的にはやすらぎが得られても、苦しみから完全に解放されることはありません。

そのような感情から抜け出そうとしてもがけばもがくほど、その感情にとらえられて、またもや波のなかに引きずりこまれてしまうのです。

そして女性は愛する人を失った痛みから逃げるために、もう愛は必要ないと思いがちです。

もう誰も信じないでおこうと決心して、傷ついたり、見捨てられたり、裏切られたりすることから自分を守ろうとするのです。

そして必要以上に自立し、他人の慰めやサポートを必要としないかのように振る舞い、誰かと親密になることを避けます。

女性は捨てられたときに悲しまないですむように、最初から親密な関係になることを拒否してしまい、ひとりで生きていくことを選んでしまうのです。

心の傷が癒されていない男性の危険サイン「深いつきあいができない」!?

男性は、特になんとか今の状況の解決法を探そうとします。

だから愛する人を失ったことが苦しければ、それをとり除くためにてっとり早くできそうなことをしてしまうのです。

必要以上に仕事に没頭するとか、別の相手とつきあい始めて、苦しさをまぎらわそうとします。

男性は愛を失ったことが問題なら、また愛を見つければ問題が解決すると考えるのです。

しかし、新しい相手を見つけたからといって、失った人の悲しみが消えるわけではありません。

これは無意識のうちに男性とる行動ですが、事態はさらに悪くなってしまいます。

そして自分の感情を見ないように、見せないようにしているので、思いやりの心が薄れてしまうのです。

だから新しい相手とつきあい始めても相手の心に深入りできなくなってしまいます。

表面上でしかつきあえず、心でつながれない関係は、一時的にうまくいくことはあっても、長期的な関係にはならず、さらなる別れにつながりがちです。

心の傷を癒すための悲嘆のプロセス

心の傷を癒すための悲嘆のプロセスとは、どっぷりと感情に浸ることです。

特にネガティブな感情は、感じることに抵抗したり、避けたり、見ないようにすると、いつまでも逃れられず、心に残り続けます。

しかし、一度、どっぷりと感情に浸り、悲嘆のプロセスを十分にすると、とてもすっきりして、愛する人が与えてくれた「安心感」「平穏」「愛」「理解」「許し」「信頼」も感じることができるようになるのです。

そして亡くなった人への悲しみ、後悔、寂しさなどにいつまでも気持ちがとらわれるのであれば、癒しの感情を感じきっていないことが原因です。

そのためにはネガティブ感情のうち「怒り」「寂しさ」「恐れ」「悲しみ」の4つの癒しの感情を十分に感じきることが必要なのです。

1.「怒り」

望みどおりにならなかったと思う気持ちが「怒り」をかきたて、起きたことに対応しなければと思いつつも、もうどうにもならないという感情です。

自分への「怒り」として、後悔にあけくれてしまいがちで、いつまでも気が抜けた無気力の状態になりがちです。

2.「寂しさ」

愛する人にそばにいて欲しかった。なのにいなくなってしまった。「そばにいてくれればよかったのに。」と思う気持ちが「寂しさ」です。

この「寂しさ」を押し殺すと、あなたがもっているものの価値を認め、感謝をしたり、愛することができなくなります。

3.「恐れ」

過去の罪悪感にとらわれ、起きて欲しくないことに意識が奪われている状態です。

起きて欲しくないことを避けるために、何かをする勇気がもてなくなり、自分を守るあまり心を閉じてしまいがちになります。

4.「悲しみ」

愛する人にそばにいて欲しかったのに、いなくなってしまった。望みがかなわないことを認めることが「悲しみ」です。

失ったことを受け入れ、それに向き合わないと、「悲しみ」を十分に感じることができません。このためいつまでも、「そばにいていて欲しかった」という絶対かなうことがない望みをもち続けてしまいます。

なぜひとりだと、ネガティブな感情から逃げたくなるのか?

「怒り」「寂しさ」「恐れ」「悲しみ」というネガティブな感情を、ただぼんやり感じているだけでは、実は苦しみはますます深くなります。

苦しさやつらさを感じ、逃げようとすればするほど深みにはまりこんで、身動きがとれなくなってしまうからです。

この苦しさやつらさを何度か経験するうちに、ネガティブな感情をなんとかして避けようとします。

なぜなら、ネガティブな感情から抜け出せなくなりそうな不安があるからです。 しかし避けているだけでは、逆にいつまでたっても抜け出せることはありません。

しかも、避けることで一時的に苦しさから逃れることができますが、実は前向きな気持ちを感じとる力も、だんだん弱まってくるのです。

私たち大人は子供のときのように無邪気に感情を感じ、表現するのではなく、頭で考えることを覚え、感情を感じなく、避けるようになってしまっているのです。

つらいことや悲しいことに対処しているうちに、ネガティブな感情を避ける習慣が身につき、いつのまにか、「安心感」「平穏」「愛」「理解」「許し」「信頼」というポジティブな感情を十分に感じとれなくなってしまいます。

グリーフケア(悲嘆のプロセス)の相談・問い合わせ

・「もっと、できることがあったのではないか」と後悔しているかた
・「私が悪い」と罪悪感を抱かれているかた
・「もう一度会いたい!」と心で叫ばれているかた

愛する人を失ってある程度の時間が経っているのに、いつまでも気持ちの整理ができていないのであれば、悲嘆のプロセスをしっかりと行えているのか、今一度、確認してみる必要があります。

また、ひとりでは、悲嘆のプロセスで、4つの癒しの感情「怒り」「寂しさ」「恐れ」「悲しみ」を感じきることができないと思われた方は、一度、ご相談・問い合わせください。

以下の問い合わせフォームに相談相談の内容を入力の上、お気軽にご連絡ください。

あなたの状況、環境に合わせたサポートプランをご提案させていただきます。

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